「戦争の、その先」を観測する ― 「継戦能力」から「終戦能力」へ
「戦争の、その先」を観測する
― 「継戦能力」から「終戦能力」へ
これまで、私たちはいくつかの「ピース」を観測してきました。
AI。
政治。
国家。
軍事。
情報。
経済。
そして、それぞれのピースを単独で見るのではなく、
そこに関わる「アクター」が、どのような行為可能権限を持ち、
どこへ接続されているのかを見てきました。
その過程については、「アトラス観測記」に記録しています。
今回、また一つのピースが、別のピースと接続し始めました。
「戦争」を一つのピースとして見る
今回の観測の入口は、ウクライナとロシアをめぐる軍事状況でした。そこから、日本の自衛隊、アメリカとの安全保障関係、
そして日本の政治へと観測対象が広がっていきました。
最初は、それぞれ別々の話に見えます。
しかし、少し視座を上げてみると、三つのピースが見えてきました。
政治ピース。
自衛隊ピース。
アメリカとの安全保障ピース。
今回、私たちが観測したいのは、それぞれが「良い」「悪い」という評価ではありません。 それぞれが、 「現在、どのように動いているのか」 「どの方向へ向かっているのか」 そして、 「三つが接続したとき、どのような国家の姿になるのか」 です。
三つのピース
政治の側では、防衛力の強化、防衛生産・技術基盤の強化、安全保障関連三文書の改定、防衛装備移転などが進められています。
自衛隊の側では、統合作戦司令部が設置され、陸・海・空を統合して
運用する体制が整えられています。
そして日米安全保障の側では、
自衛隊と米軍の作戦上の連携、情報共有、共同訓練、相互運用性などが進められています。
これら一つ一つについては、それぞれ個別の政策・制度として説明することができます。
しかし、ここで一度、全部を同じ画面に置いてみます。
すると、別の観測が始まります。
政治。 自衛隊。 米軍。 この三つのピースが、
それぞれ独立して動いているのではなく、
「有事に対応できる国家の能力」 という方向で接続しているように見えてきます。
ここは、まだ解釈です。
しかし、次の観測課題としては十分に成立します。
そして、「継戦能力」という言葉が出てきた
今回、私たちの観測を一段深くしたのが、この言葉でした。「継戦能力」
高市総理は、ロシアによるウクライナ侵略を念頭に、
「継戦能力」が大きな課題となっていること、
そのために必要な数を調達できる生産能力を構築する必要がある、
という趣旨の発言をしています。
つまり、ここでいう「継戦能力」は、
単に兵士が戦い続けるという意味ではありません。
防衛生産・技術基盤。 必要な装備。
それを生産し、維持し、補充する能力。
そこまで含めた、長期的な戦闘継続能力です。
ここまでは、確認できます。
しかし、ここで一つ引っ掛かった
戦争には、当然ですが「始まり」だけではありません。 開戦。 戦闘。 継戦。そして、終戦。
その後には、戦後があります。
ところが、 「継戦能力」 という言葉を聞いたとき、
私たちの中に一つの違和感が生まれました。
では、 「終戦能力」はどうなっているのだろう?
私は「終戦能力」と言いたい
もし国家が、戦争を継続するための能力を整えるのであれば、同時に観測しなければならないものがあります。
それは、 「いつ、どの条件で、誰が、どのように戦争を終わらせるのか」
という能力です。
私は、これを仮に「終戦能力」と呼んでみたいと思います。
もちろん、
これは現在の日本政府が使っている制度上の用語ではありません。
今回の観測から、私たちが新しく置いてみた観測概念です。
だから、ここで結論を出すつもりはありません。
むしろ、ここから観測したい。
国家OSとして見る
これまで「国家OS」という言葉を使ってきました。国家を、単なる政府ではなく、国民を中核として、
憲法・法制度・行政機構・政治・経済・外交・軍事などを媒介しながら、
情報を受け取り、意思を形成し、決定し、実行し、
その結果を再び国民へ返す一つの運用体系として見る。
この視座に立つと、戦争も一つの国家機能として観測することができます。
すると、問いが変わります。
「戦争ができる国家なのか?」 だけではありません。
「戦争を始めた国家は、どのように戦争を終わらせるのか?」
さらに、
「終戦した国家は、どのように平時へ戻るのか?」
という問いが出てきます。
政治OSは、どこに出口を持っているのか
ここで、政治ピースがもう一度前に出てきます。自衛隊は戦闘を遂行する組織です。
軍事組織には、そのための指揮命令系統があります。
米軍との間にも、共同で作戦を行うための仕組みがあります。
では、その先にある政治はどうでしょうか。
戦争目的を、誰が定義するのか。
戦争を継続する条件を、誰が判断するのか。
戦争を終わらせる条件を、誰が決めるのか。
そして、終戦後に国家をどのように平時へ戻すのか。
ここには、まだ私たちが十分に観測していない領域があります。
「戦争をするか」から、「戦争の後」へ
ここで、今回の観測対象が少し変わりました。これまでは、 「日本は戦争に備えているのか?」
「自衛隊はどこまで他国軍と接続しているのか?」
「日米の軍事的統合は、どこまで進んでいるのか?」
という問いを見ていました。
しかし、今はもう一段先に進みます。
「もし戦争になったら、その先に日本国家OSは何を想定しているのか?」 です。
「継戦能力」と「終戦能力」
この二つを、対立する概念として置くつもりはありません。継戦能力がなければ、国家は戦争状態の中で必要な防衛行動を継続できない。
しかし、継戦能力だけを見ていても、
国家が最終的にどこへ向かうのかは分かりません。
だから、もう一つの軸を置いてみる。
継戦能力
↓
終戦能力
↓
戦後復帰能力
この三つを一つの循環として観測してみる。
これは、まだ仮説です。
今回、見えてきたもの
AIを観測していたとき、私たちは「行為可能権限」という言葉に出会いました。
その後、AIだけではなく、政治、国家、軍事、企業、組織など、
さまざまな「行為可能権限を持つもの」を、
一つの画面に置いて観測するようになりました。
そこから、「ピース」という見方が出てきました。
そして今、そのピース群をもう一度、
一つの画面に戻そうとしています。
今回見えてきたのは、
政治ピース。
自衛隊ピース。
アメリカとの安全保障ピース。
そして、その三つが接続した先にある、
「戦争の、その先」 です。
まだ、答えはありません。
ただ、一つの問いが残りました。
国家は、戦争を続ける能力だけではなく、
戦争を終わらせる能力まで設計しているのだろうか。
そして、もし「終戦能力」というものが国家OSに存在するとすれば、
それを誰が持ち、誰が判断し、誰が観測するのだろうか。
ここから、もう一度、ピースを一つずつ開いてみます。
つづく。

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