高市政権の政治OSを断面観測する――「保守」という外装と、政治権力という統治原理
高市政権の政治OSを断面観測する――「保守」という外装と、政治権力という統治原理
はじめに――「高市は保守なのか?」から、一歩引いてみる
イッカク:「高市は“ナチズム的権威主義”ではあるが、“国家神道的保守”ではない。
ここを混同すると彼女の政治OSが見えなくなる。なぜなのか?」
アトラッシ:
「その問いは、少し置き換えた方が見えます。高市は保守なのか、権威主義なのか
――と分類するのではなく、保守に見える外装と、
実際に働いている統治原理は一致しているのか?と問うのです。」
ここから今回の観測が始まった。
「保守」という外装
高市早苗の政治的言動には、皇室、伝統、国家、国防、日本、家族など、「保守」と認識されやすい要素が現れる。
この部分だけを見れば、「保守政治」と受け取ることは容易だ。
しかし、今回見たいのは、その言葉の印象ではない。
その政治主体が、実際の制度決定において何を優先するのか。
そこを見る。
保守思想と、権威主義的な国家運用
ここで「保守」という言葉を一度、分解してみる。伝統を継承する。
急激な制度変更を避ける。
共同体の蓄積を尊重する。
権力の行使にも慎重さを求める。
少なくとも、このような思想としての保守を想定することはできる。
一方、別の政治原理がある。
国家目的を上位に置く。
政治権力によって制度を決定する。
行政・社会・産業などを国家目的へ統合する。
国家の意思を強く実行する。
こちらは、「何を守るか」という思想よりも、
「国家をどう動かすか」という統治原理の問題になる。
今回の観測では、この二つを混同しないことが重要だった。
そこで、天秤を置いてみた
イッカク:「『皇室を尊重する』という保守的外装と、『皇室に関する制度を政治権力がどう決定するか』という統治原理を、天秤に掛けたのでは?」
アトラッシ:
「そうです。どちらが本物かを最初から決めるのではない。
二つを同じ天秤に載せて、実際の政治行動から、その重さを見るのです。」
ここが今回の断面観測の核心になった。
皇室をめぐる制度決定という観測点
皇室に関わる制度は、単なる一政策ではない。だからこそ、
「皇室を尊重する」と語る政治主体が、
皇室に関わる根本事項を、
どのような手続きと合意形成によって決定するのか。
ここを観測する。
問題は、「皇室を尊重していると言ったかどうか」ではない。
皇室をめぐる制度について、最終的に何を政治判断の基準として優先したのか。
そこに政治OSが現れる。
天秤の結果
今回の観測から、イッカクが置いた暫定的な結論は明快だった。「皇室を尊重する」という保守的外装よりも、
「皇室に関する制度を政治権力が決定する」という統治原理の方が重かった。
つまり、 「皇室を大切にする」という言葉そのものを問題にしているのではない。
その言葉を掲げる政治権力が、
実際の制度決定において、何を優先したのか。
そこを天秤に掛けたのである。
そして、その天秤は政治権力の側へ傾いた。
ここで「ナチズム」という
シンボリックネームが出てくる
ここでいう「ナチズム」は、歴史上のナチ党やヒトラー体制そのものを意味するものではない。
今回の観測では、
権威主義的な国家運用を象徴するシンボリックネームとして置いている。
つまり、 保守的に見える外装
↓
政治権力による国家・制度の強い統合 という作動形式を観測するための記号である。
だから、今回の問いは、
「高市は右翼なのか?」でも、
「高市は本当に保守なのか?」でもない。
むしろ、
「保守という外装の内側で、どのような統治原理が作動しているのか?」
なのである。
「保守」という言葉が、政治OSを隠してしまう
ここで、もう一つの観測が浮かんできた。日本政治では、
「伝統」
「皇室」
「国防」
「国家」
「家族」 といった要素が、「保守」という一つのラベルにまとめられやすい。
そのため、 「保守的な言葉を使っている」=「保守思想に基づいて政治を行っている」
と受け取られやすい可能性がある。
しかし、言葉と作動原理は同じではない。
ここに、政治OSを観測する必要がある。
今回、見えたもの
今回の観測で見えてきたのは、高市早苗という政治家の思想を一言で分類することではなかった。
むしろ、 「保守」という外装と、「政治権力による制度決定」という
統治原理を分離して観測する必要がある。 ということだった。
そして、「保守」という外装と、「政治権力による制度決定」の二つを天秤に載せたとき、
政治権力の側が重かった。
これが今回の断面観測である。
断面から、政治OSへ
この一件だけで、高市政権全体の政治OSを断定することはできない。しかし、一つの断面として見るなら、重要な問いが残る。
「保守を語る政治主体が、実際の制度運用では、
どこまで政治権力による決定を優先するのか?」
この問いを、皇室だけでなく、
行政、メディア、安全保障、経済政策、AI、情報政策などにも当ててみる。
もし同じ方向の傾きが繰り返し観測されるなら、
それは個別政策ではなく、
高市政権の政治OSそのものの作動原理なのではないか。
今回の観測は、そこへ向かうための一つの断面として記録しておく。
次の観測へ
WordPressで追ってきた「観測制民主主義⑮」では、国家戦略・大規模投資の観測から、その背後にある「国家OS」が見え始めた。
そして、その記事の最後に残された問いは、
「では、高市政権という政治OSは、国家OSに対して何をしているのか?」 だった。
今回の観測は、その問いに対する最初の入力になる。
国家OSを動かす政治OSとは、何なのか。 その断面を、次の観測へ渡す。
▼ この観測に至るまでのアトラッシとの交信記録
今回の「保守という外装」と「政治権力という統治原理」の天秤は、交信の中から立ち上がった観測である。
この続きは、次の「観測制民主主義」へ渡す。
つづく。

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