日本政府OSと日本国家OS ――これまでの観測で見えてきた 「乖離」と「衝突」
日本政府OSと日本国家OS
――これまでの観測で見えてきた
「乖離」と「衝突」
これまで、何を観測してきたのか
これまでの「観測制民主主義」では、個々の政治問題を一つずつ追いかけてきた。赤根さんの問題、改正皇室典範、家庭教育支援法、日米関係、
金融・為替・金利、そして日本成長戦略とAI行政。
最初から、これらを一つの問題として扱っていたわけではない。
その都度、目の前に現れた事象について、
「これは、どこから入力されたのか?」
「誰が意思決定しているのか?」
「実際には、どのような仕組みで動いているのか?」
――そんな問いを、アトラッシとの交信の中で追ってきた。
すると、政府の「動き方」が見えてきた
観測を続けていると、
単に「この政策が良い」「この政治家が悪い」
という話ではないことが見えてきた。
政策には、その前段に目的がある。
そして、その目的は、情報として整理され、
法律や制度、予算、行政計画などへ変換され、
最後には社会の現実として出力される。
つまり、政治とは、単に政治家が発言することではない。
目的を受け取り、
それを制度へ変換し、実行する一つの運用系として見ることができる。
私たちは、この運用系を「政府OS」として観測してきた。
しかし、政府OSだけを見ていては説明できない
ところが、さらに観測を重ねると、もう一つの存在が見えてきた。
政府が交代しても、日本という国家は続いていく。
憲法、法制度、国民、領土、外交、安全保障、経済、社会基盤――。
こうした国家としての継続的な構造を、
私たちは「日本国家OS」として捉えてきた。
ここで問題になる。
日本政府OSは、日本国家OSの目的を、そのまま実現しているのだろうか。
これまでの観測から見えてきたのは、
必ずしもそうとは言い切れない、ということだった。
「乖離」が見えてきた
家庭教育支援法を追ったときには、
政策そのものだけではなく、そこへ至る入力経路を見た。
誰の考えが政治OSへ入り、それがどのように政策へ変換されたのか。
改正皇室典範をめぐっては、
国家の根幹に関わる制度変更と、国民の総意、民主的な意思決定との関係を見た。
赤根さんの問題では、
日本国民の生命・安全に関わる問題に対して、
日本政府がどのように情報を受け取り、判断し、行動するのかを見た。
日米関係では、日本の国家意思と、日米同盟、日米合同委員会、
日米地位協定などの既存構造との関係を見た。
金融・為替・金利では、
国民生活という国家の根幹に関わる領域と、
政府・日銀の政策運用との関係を見た。
そして日本成長戦略とAI行政では、
国家規模の政策を横断的につなぎ、
官民の投資や行政を動かそうとする構造が見えてきた。
こうして並べてみると、別々の問題だったものが、同じ問いを含んでいることに気づく。
国家としての目的と、
政府が実際に出している政策・行動は、本当に一致しているのか。
「衝突」は、さらに一段深い問題だった
そして、ここから「乖離」だけではなく、「衝突」という問題が出てきた。
政府OSが国家OSの目的を実現するために動いているのであれば、
両者は基本的に同じ方向を向くはずである。
しかし、政府OSに別の入力が入り、その入力が政策や制度として出力されれば、
国家OSとの間にズレが生じる可能性がある。
そのズレが大きくなれば、
それは単なる政策上の誤差ではない。
国家OSと政府OSの衝突として現れてくる。
すると、観測すべき場所も変わってくる。
「政府は何をしたのか?」だけでは足りない。
「なぜ、その判断になったのか?」
「どの情報が入力されたのか?」
「国家としての目的は、どこで変換されたのか?」
そして、
「そのズレを修正する仕組みは存在するのか?」
というところまで見なければならない。
ここで「成列」という言葉が立ち上がった
こうして、これまでの観測を一度振り返ってみると、
私たちは一つの新しい観測軸に行き着いた。
それが「成列」である。
国家のIntentionは、日本国民の総意と成列しているのか。
そのIntentionを実現する政府OSは、実際に機能しているのか。
そして、そこに乖離や衝突が生じたとき、
目的そのものを変えてしまうのではなく、
再び成列化することができているのか。
これは、これまでの観測を否定する新しい理論ではない。
むしろ、これまでバラバラに見てきたものを、
もう一度同じ観測台に載せるための、新しい視点である。
観測制民主主義は、ここから変わる
これまで私たちは、政府の政策や政治家の発言を観測してきた。
しかし、これから見るべきなのは、そのさらに奥にある。
国家のIntention
↓
それを制度へ変換する政府OS
↓
社会に現れる実際の出力
↓
現実からのFeedback
↓
そして、再成列できるのか
この循環そのものを観測する。
そう考えると、
ICCの赤根さんの問題も、
改正皇室典範も、
家庭教育支援法も、
日米関係も、
金融も、
成長戦略も、
AI行政も、
再び一つの観測の中へ戻ってくる。
次の観測へ
ここまでの交信で、
私たちは「日本政府OS」と「日本国家OS」の間に、
乖離や衝突が起こり得ることを見てきた。
しかし、まだ分からない。
それは、どこで起きているのか。
どのような条件で起きるのか。
そして逆に、どのような場合に成列化が起きるのか。
ここから先は、個別の事象をもう一度、
この観測軸から見直してみる必要がある。
次の観測へ渡す問いは、こうなる。
では、
実際にどこで成列が崩れ、どこで成列化が起きているのか?
――観測は、ここからもう一段深くなる。
つづく。

コメント
コメントを投稿