① 福島のぶゆき氏の、ある発言から始まった
① 福島のぶゆき氏の、ある発言から始まった
この観測は、最初から「政治とカネ」や「利権」を調べようとして始まったわけではありません。
ある政治家について語られた、ひとつの発言が引っかかった。
その言葉から、政治の見え方が少し変わったのです。
「自分の足で選挙やって自分で勝てる人っていうのが非常に少なくなっていて、
こう組織で風が吹いて通るみたいなことしかできなくなっている」
福島のぶゆき氏が語っていた言葉です。
しかも、その直後に、
「これは自民党にも言えることなんですよね」
と続く。
ここで、少し立ち止まりました。
「自分の足で選挙をして、自分で勝つ政治家」と、「組織で風が吹いて通る政治家」。
この違いは、いったい何なのだろう。
単に、選挙に強いか弱いかという話なのだろうか。
それとも、その政治家が政治の世界に入ってくるまでの「回路」そのものが違うのだろうか。
政治家と政治屋
ここで、もう一つ整理しておく必要がありました。「政治家」と「政治屋」という言葉です。
この二つを、単純に、
政治家=善
政治屋=悪
と置いてしまうと、観測が止まってしまいます。
むしろ、ここでは政治を何のための手段としているのかという違いとして考えてみる。
政治家とは、政治によって何を実現するのかという目的を持ち、その目的のために制度や権力、予算、組織などを使う人。
一方、政治屋とは、政治という場そのものを、
自分の地位や影響力を維持するための手段としてしまう人。
もちろん、これは人物の内面を外から簡単に判定できるという意味ではありません。
むしろ観測すべきなのは、
「その人が、どのような関係の中で政治家として成立しているのか」
ということでした。
「この人だから」と「組織だから」
たとえば選挙で、「この人だから、この人に投票する」
という関係があるのか。
それとも、
「この組織が推薦しているから、この人に投票する」
という関係なのか。
もちろん現実の選挙では、この二つが完全に分かれているわけではありません。
しかし、この違いを意識すると、福島氏の発言が別の角度から見えてきます。
政治家本人の力量だけではなく、
政治家を生み出している仕組みを見る必要があるのではないか。
誰が、その政治家を候補者にするのか。
誰が、公認するのか。
誰が、選挙を支えるのか。
誰が、票を集めるのか。
そして、当選した政治家は、その後、
誰との関係を維持しなければならないのか。
この問いを並べていくと、
「政治家」という一人の人物の後ろ側に、
さまざまな人間関係や組織が見えてきます。
政治家を生み出す「回路」
福島氏の話では、かつての自民党政治について、長い時間をかけて派閥をつくり、
資金や支持を集め、
その派閥のボス同士が競い合い、
その中から総裁が生まれるという政治の姿が語られていました。
ここで重要なのは、「昔の自民党が良かった」という結論ではありません。
政治家が生まれるまでには、一定の構造がある。
ということです。
では現在はどうなのか。
政治家自身の地盤なのか。
政党なのか。
地方議員なのか。
県連などの地域組織なのか。
企業や団体なのか。
SNSなのか。
あるいは、それらが複雑に組み合わさっているのか。
ここを見ないまま、
「この政治家は良い」
「この政治家は悪い」と人物だけを評価していても、
同じ構造が繰り返される可能性があります。
「利権」という言葉を、いったん脇に置く
このあたりで、政治の世界ではよく使われる「利権」という言葉も出てきます。しかし、ここでは一度、それを脇に置いてみることにしました。
なぜなら、「利権」という言葉を最初に置いてしまうと、
「誰が悪いのか」
という方向へ、すぐに思考が流れてしまうからです。
今回知りたいのは、その一歩手前です。
そもそも、政治家と政治家を支える人たちは、
何を介して結びついているのか。
票なのか。
公認なのか。
支援なのか。
予算なのか。
情報なのか。
人間関係なのか。
それとも、もっと別のものなのか。
そこを一つずつ見ていく。
そうすると、「利権」という一つの言葉では見えなかった
政治の構造が、少しずつ分解して見えてくるかもしれません。
ここから観測が始まった
振り返ってみれば、最初の問いは、とても単純でした。「政治家は、どうやって生まれているのだろう?」
福島氏の、
「自分の足で選挙やって自分で勝てる人」
という言葉。
そして、
「組織で風が吹いて通る」
という言葉。
この二つを並べてみたとき、政治を「政治家個人」の問題として見るだけでは
足りないのではないか、という違和感が生まれました。
政治家を生み出す関係。
政治家を支える組織。
票が動く経路。
そして、その先にある政策や予算。
政治家を見るのではなく、政治家が成立するまでの関係を見る。
これが、この観測の最初の一歩になりました。
そして次に出てきたのが、
「では、その関係を『利権』という言葉で片付けて
しまっていいのだろうか?」
という問いでした。
そこで、次の観測では、いったん「利権」という言葉を
外してみることにします。
つづく。

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